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「教える」ということ

  • 5月14日
  • 読了時間: 2分


 前の「こぼればなし」なんていつ書いたんでしょうか……?



 ……と以前の「こぼればなし」でも同じことを言っているようなので、人間そう変わらない、ということです(^^;)


​​


​ 今年になってから指揮をする機会を頂くことが急に増えました。「指揮者」という肩書はなんともエラそうではありますが、実際にはそうではありません。演奏のマネジメントをせねばならないという部分において、演奏の良し悪し、とりわけ「悪し」の部分は指揮者の責任が非常に大きくなります。



 私の場合指揮を行うのはアマチュア団体が基本なので、比較的「指揮をする」≒「普段の指導を行う」になりがちです。「教える」という仕事は曲がりなりにもかれこれ10年近く行ってきているわけですが、演奏技術そのものは当然必要なこととして、その中での「言葉」の扱い方は非常に重要です。


 「言葉」は時に救世主、時には凶器にさえなります。使い方を間違えるととんでもないことになるのは、かつてノーベルが発明した「ダイナマイト」などと似通ったところがあります。



 私のレッスンでは「言語化」するということを中心に行っています。それはある意味自分の理解を深めることにもつながります。なぜこの音が鳴るのか、なぜこの音がうまくハマらないのか、どうすれば理想の打鍵(タッチ)が出来るのか……ありとあらゆることをできる限り、しかし難解になりすぎずに言語化する――これは「伝える」職業においては非常に大事なことです。



​ 一方で、「本質を説き、道筋を示せば 人は思考を放棄する ”そういうもの”と鵜呑みにして分かった気になり本質を逸する」(漫画『あかね噺』第182席より)ともあるように、1から10まで何でも言えばいいという話でもないのです。その塩梅を見極めることは、一生かかってどのくらいできるものなのでしょうかね。



​ とにもかくにも、試行錯誤の日々。




(写真:湾へと続く門 2026年4月撮影(紀州東照宮にて))



 
 
 

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